2018/10/19 18:06
もう30年以上ヨーロッパに居住しております。
最近感じるのはグローバリズムの所為か日本との距離がどんどん短くなってきたなあ、ということです。
私が最も近未来を感じるのはSkypeを使用している時です。
昔のSF漫画で、遠距離に住んでいるお互いの顔を見ながら話をしているのがありましたが、こういうことが現実に起こっているわけです。
インターネットの出現は確かに驚きですが、Skypeにはかないません(私の感想です)。
と、書きながらいったい私は何を書こうとしているのか?
あ、そうだ音楽のちからで、ございます、
まず、私の一日はオールディーズ専門のラジオ局のスイッチを入れることから始まります。
オールディーズといってもやはりその時その時のはやりがあり、一時(20年ほど前))はイギリスのポップシンガー、ギルバート・オーサリバンとか、エルトン・ジョンがよくかかっていたころがあり、今はめったにギルバート・オーサリバンを聞くことはありません。
最近はスパイス・ガールが時々かかっています。大昔から今まで全くかからないのはカーペンターズで、ございます。
一応私はファンですので、ラジオ局になぜカーペンターズがかからないのか手紙を出して聞いてみようと思っているのですが、未だ行動を起こしておりません。
ごめんなさい、なんだか、ブログがどんどん長くなってきましたが、年寄りなので、すぐに何を書こうとしているのか忘れてしまいます。
ああ、音楽のちからだ。
日本でもたくさんの聴取者がいると思いますが、私の趣味の一つとしてBritain got talent (略してBGT)、America got talent(AGT)
をよく見ます。
ときどき、歌を聞きながら、涙ぐむことがあります。
いろいろなシンガーの中で、学校でいじめに遭い、その逃げ口として音楽に慰めを求める少年少女たちが、今度は自分たちがいじめに
あった経験をシンガーソングライターとして、聴衆の前で歌いあげます。
鬼のような審査員の目にも涙。
音楽というのは直接耳から音が入ります(当たり前のことです)
そして素晴らしい歌であれば、魂が揺さぶられます。
文学も絵画も同じように魂が揺さぶられますが、音楽の場合は複数(AGT,BGTは4000人ぐらい収容の会場と聞いています)の聴衆が同時に音を聞き、素晴らしい歌であれば、同時に感動をしそれが膨れ上がってくるわけです(しばしばスタンディング・オーベーション)
こういう画面をYoutubeで見たら、音楽のちからというのはすごいなあ、と感じます。
私たちは日常の生活の中で、音楽に力を与えられ、音楽に力を与えているわけです。
ということで、ようやく本題が書けたような気がいたします。
不定期で音楽の話題を書いていきます。